ブログのネタが思い浮かばず、何かないかなぁ…と考えていた今日この頃。
突然、昔担当していた一人の女性の利用者さんが脳裏に現れました。
そういえば…と気になり調べると、翌日が命日。
「たまには思い出して下さいな」と言われている気がしたので、この方のことを今日は書くことにしました。
関東大震災1年前の、大正11年生まれのTさん。
「墨田で採れて(生まれて)、ずーーと墨田」に住んでいたそうです。
90歳近くで逝去されましたが、結婚しても墨田に住み、区外に住んだことがなく、墨田で生涯を過ごされました。
両親も兄弟も皆さん目が悪く眼鏡をしていたそうで、「空襲の時は、命の次に大事な眼鏡を忘れるな!」を合言葉に眼鏡を枕元に置いていた(眼鏡しないと何も見えなかったそうです)。
近くの荒川の土手に高射砲があって、敵の飛行機が来たら撃っていたが、『あら、また当たらないね』と眺めていた。
子供のころは玉ノ井の街中が遊び場で、みんなで遊んでいたら、小学校の先生が通りかかって目が合い、とってもバツの悪そうな顔をしていた。
いろんな墨田の昔話をして下さいました。
歩けず一人暮らしでしたが、最後の最後まで自宅に住むことにこだわり、最後は墨田区の施設で亡くなられ、文字通り生涯墨田に生きた方でした.
彼岸花が咲いている季節になると、いろいろ思い出しますね。